はじめに
2024年4月8日の今日、上の子の小学校入学式です。
早生まれということもありますが、6年前に誕生した我が子がもう小学生になるのかと思うと、だいぶ感慨深いです。
また、筆者自身の小学校入学式当日も色々な出来事があり、今でも鮮明に記憶に残っています。
それから30数年の時を経て、今度は親目線で小学校入学式に参加すると思うと、それもまた非常に感慨深いです。
なお、本日4月8日は、日本記念日協会によると、”出発の日”に制定されているようです。
小学校入学式に限らず、色々な門出であるこの時期にふさわしい制定日だと感じます。

何事もスタートの時期ですね。
本記事では、そうした所感についてまとめます。
所感(小学校入学式に思うこと)
我が子の小学校入学式の今日4月8日に思うことは以下です。
- 小学校入学式の思い出
- 親目線での小学校入学式(輪廻感)
- 30数年ぶりの公教育の現場との関わり+親としての関わり

一つずつ見ていきます。
小学校入学式の思い出
30数年前の筆者自身の小学校の入学式当日の日、
同じように桜満開の4月の朝、小学1年生になりたての筆者が最初に向かった場所は、
総合病院の緊急手術室でした。。
どういうことかというと、、
- 小学校当日の朝、兄弟げんか
↓ - 家のガラス窓を右足で思いっきり蹴る。。
↓ - 大学病院へ救急搬送。右足の付け根を10針縫う大けが。。
↓ - 当然、小学校入学式は欠席。。
↓ - 術後、包帯の右足で、父親におんぶされながら、誰もいないだろう教室へ一応向かう。。
教室へ向かう道中の桜の木が満開。
↓ - 先生と、同じクラスの子達が全員待っていてくれていた。。
上記のような経緯をたどった小学一年生の入学式でした。
- 自分の軽率な行動への怒り・不甲斐なさ
- 親や周囲の人へかけた迷惑・恥ずかしさ
- 最後まで教室で待っていてくれた先生・同じクラスの生徒たちへの有難さ・気恥ずかしさ
その当時、小学1年生の自分では言い表せませんでしたが、
色々な感情が渦巻く小学校入学式当日でした。
親目線での小学校入学式
そうした経緯から、自分自身の小学校入学式の記憶は鮮明に覚えています。
同時に、その時の親目線でどのような思いだったのかという点も、今になるとすごく分かる気がします。
30数年の時を経て、我が子の小学校入学式を迎えることは、
同時に、30数年前の小学校入学時の親がどのような気持ちを感じていたのか、
そうした点に思いを馳せることができます。

本当に両親に迷惑・心配をかけた
小学一年生の入学式当日であったと、
改めて実感します。。
人生に繰り返しということはないですが、
こうした数十年の時を経て、違った目線で同じように公教育に関わるという点で、
少し輪廻感のような不思議な感覚があります。
小学校に限らず、中学校・高校・大学という教育課程の節目でも、
おそらく同様のことを感じるのではないかと思います。
その都度、ここまで育ててくれた両親に改めて感謝するとともに、
親の偉大さを実感することになると思います。

これからの人生で、
しっかりと恩返ししていきます。
30数年ぶりの公教育の現場との関わり+親としての関わり
自身の小学校入学から、はや30数年余り。
今度は、親目線で、公教育の現場に関わっていきます。
個人的には以下の点が気になっています。
- 学習カリキュラム
- 小学校の設備類の進化具合
- IT化・デジタル化の導入具合
- 学校生活全体の変化
- PTAへの参加度合い
- 学童保育所の変化具合
令和の時代に入った今、公教育においてどのような変化が30数年前からあるのかが気になります。
このあたりの変化具合は、今後、実際に小学校の行事や授業参観等で、実際に目にする機会があると思いますので、その都度確認してきます。

特に、
デジタルネイティブの育成という意味で、
学習スタイルがどの程度
デジタル化(タブレット・PC)を導入しているのか、
すごく気になります。
まとめ

※小学校の門で、満開の桜が迎えてくれました。
いかがでしたでしょうか。
本記事では、我が子の小学校入学式当日の今日、思うことをまとめました。
少子高齢化の日本社会において、
今後ますます、教育面でどのような変化を遂げていくかは気になるところです。
親として公教育の現場に関わる中で、色々な発見ができればと思います。

変わっているのか、
変わっていないのか、
どちらの結論だとしても、
興味深いです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
なお、上の子の子育ての6年間の軌跡・所感は以下でもまとめています。
お時間ありましたら、ご覧いただけますと幸いです。

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