はじめに
2024年のゴールデンウィーク(最大10連休)が終わりました。
そして、GWに限らず、連休明け前日から当日は、憂鬱感にさいなまれるのではないでしょうか。
本記事では、連休を終えて感じる所感をまとめます。
連休明けの憂鬱感を打破する何かしらのご参考になれば幸いです。
所感 ※連休(GW10連休)を終えて思うこと
連休(GW10連休)を終えての、所感は以下です。
一つずつ見ていきます。
連休明けの憂鬱感とは
筆者も多分に漏れず、連休明け前は少し憂鬱な気分になりました^^。。
なぜかと考えた時に、コロナ前は、連休明けに以下の作業に追われており、その時の記憶・気持ちが呼び起こされるのかもしれません。
忌まわしい記憶というのは、
いつまでも根強く残るものです。
また、単純に、週明けの月曜日の憂鬱さというものは、連休明けに限らず感じる部分があります。
他者との関わりにおいて、致し方ないと割り切っている作業であるものの、そうしたコミュニケーションをとることによるストレスが、連休明けにまたやってくると考えると、どうしても憂鬱にならざるをえませんでした。
自分で変えられないものに直面すると、
大きなストレスを感じます。
しかし、コロナ禍~アフターコロナ(2019年後半~2023年)にかけて、以下のような状況に変わりました。
こうした状況を踏まえて、筆者の置かれている状況はだいぶ恵まれていると感じます。
連休明けに出社が不要という点だけでも、だいぶ憂鬱感が軽減されます。
とはいえ、時代情勢により、
結果的に享受できている側面があります。
いつまた、出社前提の働き方に戻るかは分からないため、
こうした結果的に享受している恩恵が当たり前のものとはとらえないように注意します。
公教育の威力を痛感
こうした、連休明け直前・当日の憂鬱感がありながらも、しっかりと会社や学校へ行くという行動がとれるのは、公教育の成果ではないでしょうか。
朝、気持ちが乗らなくても、しっかりと朝準備して、会社・学校へ行くというのは、義務教育時の訓練の賜物だと感じます。
我が子2人(小1・年少)も、今日の朝元気に、小学校と保育園へ向かっていきました^^
しかし、同時に、連休明けで精神的に厳しい状態のときは、休むというのも一手だと感じます。
無理は禁物ですね。
体調が万全でないならば、休むのも最善策の一つです。
子供達の順応力の高さを嬉しく思いつつも、無理しすぎていないか、小さな変化は見逃さないようにしていきます。
FIREにむけて
何も制約のない中で、どう行動できるか。
このGWの連休中に筆者が最も感じた点は、上記の点です。
会社や学校という、半強制的な仕組み・やる事が無い連休中に、規則正しい生活や予定している作業をしっかりとこなすことができるか、FIRE(経済的自由)を達成した後に、何のしがらみもないなかで日常を過ごす際の試金石になると感じます。
そう考えると、ある種、何らかの強制力(会社や学校)が働いている状態のほうが、ラクな側面もあるかもしれません。
何もかも自分で決められる生活というのは、逆に言うと、何もかも自分自身の責任に帰するからです。
自由と責任は、
表裏一体ですね。
連休中に、新年度からの疲れをしっかりと癒しつつも、そうしたFIRE後の生活も見据えた行動は考えていきたいと、、 少しだらけてしまった筆者自身への自戒の念をこめて。。
また、次回以降の連休で、このあたりは実践していきます。
トライ&エラーですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
本記事では、連休(GW10連休)を終えて思うことをまとめました。
連休に入る直前、そして連休中が充実していればいるほど、連休明け直前から当日の憂鬱感もまた大きくなるかもしれません。
そうした時は、そう感じてしまう自分を責めるのではなく、自然な感情だと受けれて、連休明け初日を乗り切ることが大切だと感じます。
連休明け初日を乗り切れば、
また、生活リズムが戻ってくる気がします。
無理しすぎない程度に、頑張っていきましょう。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
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